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あの日、何を報じたか1945/8/17【来駐に万全期せ 沈着 団結 乱すな態度】西日本新聞の紙面から - 西日本新聞

 〈今次停戦の結果、対手方(※相手方)がわが本土に来駐することはポツダム宣言に徴しても当然予想するところである。われわれはこの非常の場合に処し特に考慮しなければならぬことは沈着冷静、固く一億団結し、互いに道義を重んじ、いささかも動揺の色を示してはならない〉

 終戦と敗戦への感傷から、「これから起きること」への備えへ-。戦意高揚を担ってきた新聞は敗戦後、揺れ動く人々の心を静める記事を多く掲載した。この記事は靖国神社の社頭にぬかずき〈国体護持を祈念する人々〉の写真の近くに添えられた。

 〈来駐の場所は主として海辺の都市その他の要地と予想されるが、今後われわれ国民の上に課せられる責務と負担は非常に苛烈であり、この間は民族的な忍苦の連続であることを予想される〉。記事は読者に「覚悟」を促す。

 〈郷土九州にも近日来駐するものと思われるが、九州人として心掛くべきは態度、服装などもきちんとただし、また全ての受け入れ姿勢を整え、特に女子は外容、精神とも隙間なく己を持し、この非常事態に遺憾なき心構えと身辺の処理を急ぐことが肝要である〉

 紙面には西日本鉄道小倉支社の義勇戦闘隊が16日に解散式を開いたという記事も。〈菊池戦闘隊長の大詔奉読および最後の隊訓を全員朗誦したのち、胸間の「戦」の文字を取り外し同隊を解散した〉。

 北九州の工場に関しては〈急速に民需生産へ〉という見出しもあり、180度異なる社会体制への産声が各地で上がっていた。

 紙面にも変化があった。現在は「春秋」のタイトルで1面の下方に掲載しているコラム。戦時中の1944年3月6日付から続いた「伏敵門」は45年8月16日付で終了した。敗戦後、紙面に頻出したのは「新日本」「建設」といった文字。コラムのタイトルも17日付から「建設譜」に衣替えした。(福間慎一)

   ◇    ◇

 〈〉の部分は当時の記事から引用。できるだけ原文のまま掲載。

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August 17, 2020 at 06:00AM
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