阪神・能見篤史投手(41)が11日のDeNA戦で猛虎最後の登板を818日ぶりの通算2セーブ目で飾った。今季限りで退団する中、1―0の9回を無失点で締めて球団最年長セーブ記録を更新。16年間着たタテジマのユニホームに別れを告げ、本紙に独占手記を寄せた。阪神は全日程を終え、60勝53敗7分けの2位で終えた。
まさか1―0で回ってくると思ってなかったので、楽しめたのと半分ドキドキしながら投げました。感謝の思いを心にしまって、振りかぶりました。
16年間在籍してきたタイガースを退団することになり率直に寂しい…その気持ちが一番です。球団には若い時に結果が出なくても残してくれた思いもあります。26歳でプロに入って4年ぐらい結果が出なくて普通なら…察しがつきます。トレードの話もあっただろうし、我慢してもらいました。
ファンの存在もすごく大きかったです。厳しいヤジもありましたけど、そこを我慢して「頑張れ」と言われると胸を打たれるんです。何より、純粋に応援してくれる方が圧倒的に多いですし。プロでやる以上、ヤジは仕方ない。そこを我慢して、頑張ってくれというのは胸に響きます。
あれだけの観衆の前でプレーできる幸せをかみしめながら、その日に観に来られる人たちに良いモノを見せたい気持ちを力に変えてました。これは経験した選手にしか分からない感情だと思います。退団なのに、いい形で場所を作ってくれて、最後に場内も一周できて御礼もできました。
振り返ると、印象に残る試合というよりも、一番はいろんなキャッチャーに受けてもらったことが浮かんできます。キャッチャーがいないと投げられない。当たり前のことなんですが、すごく有り難いし、自分の誇れることかなと。長くやっていないと、これだけの人とバッテリーは組めなかったので。
それぞれ特徴があって、同じタイプなんて1人もいなかったです。例えば、ジョーさん(城島健司)は、そのボールを投げたくなくて、首を振っても同じボールを投げさせる。“おっ”となって、何かそこに意図があるんだなと感じて、すごくおもしろかったです。キャッチャーには、いろんな引き出しを教えてもらい、感謝ですね。
来季も現役を続ける決断をしたのは、一番はコロナの影響が大きいです。この年なので、自分がやることをやって、その上で成績が出なかったら、そろそろかな…と思いながら今年を迎えました。キャンプからしっかり投げ込んできましたが、5月に3週間ぐらい練習ができなくて、積み上げてきたものがゼロになって戻りませんでした。自分の中で試行錯誤しながら進んでいたので、一言で言えば消化不良。やりきったか?と言われたら、うなずくことはできないです。家族にも相談しました。
妻はもちろん、3人の子供たちにも意見を聞きました。男の子2人は野球もやってるんですが、「続けて欲しい」という声を聞きました。背中というか、父親として見せたいと思ってますし、当たり前のようで、当たり前じゃない、結果が出なければ辞めないといけない、そういう世界というのも子供たちも分かってると思います。
自分の主張を尊重してくれましたし、家族は一番の理解者です。良い時も悪い時も知ってます。自分が納得した形で…というのは家族も望んでますし、甘えさせてもらおうと思います。
タイガースを去りますが、来年からは後輩たちが支えていってくれると思います。サダ(岩貞)もウメ(梅野)も、みんな頼もしさは出てきてるし、1軍で試合に出て変わってきた部分も感じてます。
(藤浪)晋太郎も、自信が出てきましたよね。今年は迷いがなくなって、それがボールにも出ています。今日も頼もしく見ていましたよ。大丈夫です。誰もが壁にはぶつかるんです。周りは遠回りだと評価しますが、晋太郎からすれば、そうじゃないし、どんどん成長していけますよ。
最後に。ファンの方にはいろんな意味で育ててもらいましたし、後押ししてもらいました。熱気は伝わってました。主力として優勝できなかったのが心残りですが、甲子園で経験したすべてのことが財産と言い切れます。16年間、ありがとうございました。
(阪神タイガース投手)
◆能見 篤史(のうみ・あつし)1979年(昭54)5月28日生まれ、兵庫県出身の41歳。鳥取城北から社会人の大阪ガスを経て04年ドラフト自由枠で阪神入り。09年は先発に定着しチーム最多の13勝。12年に172奪三振で初タイトル。13年WBC日本代表。1メートル80、74キロ。左投げ左打ち。
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