わたしたち人類は、いかにして人間と非人間の関わりを知覚できるのだろうか? その問いに応えるような作品を制作するのが、気鋭のアーティスト、上村洋一だ。NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)にて新作《Hyperthermia─温熱療法》を展示していた上村を訪ね、彼のキャリアや一貫した制作スタンス、果ては「瞑想的な狩猟」というアプローチまで、話を訊いた。(雑誌『WIRED』日本版Vol.36より編集・転載)
TEXT BY KOTARO OKADA
世界遺産に登録される知床半島にて、かつて聴かれていた「流氷鳴り」という自然現象がある。オホーツク海をびっしりと埋め尽くした流氷の小さな隙間から、海中の空気が潮汐によって押し出される際に「ヒューヒュー」と人間の呼吸や口笛のように鳴る現象を指す。地球温暖化によってオホーツク海の流氷は年々減少し、今はもう聴こえなくなった流水鳴りを“再現 ”しているのが、アーティストの上村洋一だ。
上村は、2019年2月から北海道大学CoSTEPの協力のもと、知床・斜里町に滞在し、流氷のリサーチを実施した。その結果、知床の人々による呼吸や口笛で再現した流氷鳴りの音を含む約40分間のサウンドスケープと、水槽内に流氷のような造形物を制作。そのサウンドスケープでは、人間の呼吸や口笛が流れたのち、実際に録音したオホーツク海の流氷の擦れる音や崩壊する音などが徐々に立ち現れ、その後、世界各地の大潮の海の轟音が展示空間を満たし、また“人間による音”にループする。
「流氷鳴りは、オホーツクの流氷観察の第一人者でもある作家・菊地慶一さんが名付けた現象です。しかし今では、地元・知床のほとんどの人が知らない現象でした。それを知床の人たちに説明し、一人ひとりが思い描いた流氷の風景を呼吸や口笛で再現しれくれませんかとお願いしました」と、上村は制作プロセスを明かす。人間活動により消滅したものを、人間の手で再現する。なんともアイロニカルなその作風は、人間と非人間の関係性の複雑さをわたしたちに突きつける。
「今回の作品では、流氷をモチーフとして自然環境と人間の世界がどのような関係性をもつかを考えています。言い換えれば、人間と非人間的なものが織りなす世界像をどう表現するか、に挑戦したんです。今でさえ『人新世』という言葉が登場し、トレンドになっている。扱おうとしている主題は近いかもしれませんが、ぼく自身は作品や活動に対して人新世という言葉を使わないようにしています。それがマジックワードすぎて、しばしば自然と人工的なものとの関係性を簡単に扱いがちです。それよりも自分の経験や感覚を出発点とし、人間がもつ生物的な感覚と、わたしたちを取り巻く自然環境がどのように関係を結んでいるのか。それによって、わたしたちが生きる世界や社会がどのように立ち現れているのかを考えていきたい」
人工的なものと自然物が拮抗した風景を描く
上村が現在のように視覚と聴覚の関係性を編みなおす作品を本格的につくり始めたのは、大学を卒業してからだ。東京藝術大学美術学部にて油画を専攻していた上村は「風景」をモチーフに絵画を描く傍ら、音楽活動に従事。自身と風景の関係性を追求することになった原体験を次のように振り返る。
「千葉みなとで生まれたぼくにとって、湾岸の埋立地こそが原風景なんです。海を埋め立て、人工的につくられた陸地の上にビルがつくられ、木が植えられ、世界がつくられる。その一方で、圧倒的な自然物としての海が広がっている。人工的なものと自然物が拮抗した状態が、自分にとってはスリリングだったんです。そのような土地は、どこにも根ざすことなく、どことなく儚く浮遊しているようにも感じられます。そういう風景を絵画や音楽で表現してきました」
上村が大学院を修了し、アーティストとして社会に出た直後の2011年に東日本大震災が起きる。そこで立ち現れた2つの問題──「原子力発電所」と「津波や地震などの自然の驚異」は、上村に大きな影響を与えた。
「反射神経の優れたアーティストは原子力発電所の問題に対して、クリティカルなメッセージを発していたことを覚えています。それらはどれも、とても鮮烈なものでした。しかし、ぼくにはそんな反射神経がなく、立ち止まってしまったんです。それよりも気になったのは、津波で家が流される映像や実際に体感した大地震の揺れでした。人間が構築してきた世界が、人間以外の事象で一瞬にしてガラリと変わってしまう。その現象をはじめて実感したのが3.11の時でした」
もしも人間が、地震や津波などの非人間的な事象や存在を前提に社会をつくれていれば、海岸に原子力発電所を建てないという選択肢をとれたかもしれない。人間世界の外側のものたちに対する感覚や意識を生物的にもっていれば、そのような選択ができていたかもしれない──。上村が抱いたそんな疑問が、3.11以降の中心的なテーマとなっていく。すると、描く対象も自ずと「風景」ではなくなっていった。
「風景画は窓枠の向こう側と自分との間につねに距離があり、風景と自分は異なる場所にいます。しかし3.11を経て、もはや風景は眺めているだけのものではなくなってしまった。その環境にアクセスしなければと考え、フィールドレコーディングを通じた作品制作に軸足を移していったんです。そうすると、自ずとさまざまな土地を訪れることになり、外側から眺めるだけでは感じられない自然環境を目の当たりにするようになります。2017年に訪れた台湾の離島・蘭嶼の海岸には1982年に台湾本土から持ち込まれた放射性廃棄物の貯蔵施設が今でもあります。それは3.11後の自分には異様なものに見えました 」
新作に「温熱療法」という名前をつけたように、上村にとって「熱」は重要なテーマだ。温熱療法とは、がんに対する治療法のひとつで、熱によってがん細胞を死滅させたり、体温を高くすることによってからだの免疫力を高め、病を治癒するというもの。上村自身、20代の頃にがん(悪性リンパ腫)になり、抗がん剤治療などの西洋医学の限界を感じ、東洋医学に基づいた治療を行なっていた時期があるという。その際のアプローチのひとつが、温熱療法であった。
「オホーツク海の流氷をモチーフに地球温暖化とわたしたちの関係性をひも解くときに『熱』がポイントになります。温暖化により減少した流氷と流氷鳴り。その一方で、自分にとって温熱療法や鍼灸、瞑想、気功は体温を高めることでからだの免疫 = 環境を守る行為でした。ぼくからすれば、熱は生命の環境を保ってくれたと同時に、わたしたちの社会活動による熱が自然環境を破壊している。作品タイトルの一部でもある『Hyperthermia』という言葉が異常高温や熱中症を意味し、同時に温熱療法という意味をもっているように、熱はアンビヴァレントな存在だったんです」
「瞑想的な狩猟」による作品制作
オホーツク海でのフィールドレコーディングを経て、上村はその行為を「瞑想的な狩猟」と表現する。
「レコーディング中に動けば、着ているジャケットが擦れる音などが録音されてしまうため、じっと動かずに流氷を静かに眺めている必要があります。その際に、録音機とマイクが勝手に録音してくれるのをひたすら待つ状態が、瞑想に近い。一方で、レコーディングは他者の土地に踏み入り、音を録り、それを勝手に作品にしてしまう行為です。これは狩猟に近い。フィールドレコーディングとは、静的な瞑想と動的な狩猟が組み合わさる、非常にアンビヴァレントな行為だと感じています」
そんな上村に対してフィールドレコーディングという制作手法の面白さを尋ねると、次のように答えてくれた。
「よく言われることですが、自分が聴いた音とマイクが録った音は異なります。自然の音を録るものの、録音物は限りなく人工物であり、単なるデータです。自然の音でありながら人工物でもあり、その音がつくりだすサウンドスケープは自然とも人工とも言えない、掴みどころのない曖昧なものだと思えます」
上村は録音に水中マイクも利用する。マイクを海中にたらせば、地上とは異なる音が聴こえてくる。例えば、制作したサウンドスケープには、たまたま録れた流氷の下の海中にいるクラカケアザラシの鳴き声も含まれる。「その姿は視えないものの、海中をつたってどこかから聴こえてきた音が録れている。自分の耳では聴こえない世界が立ち現れてくるのは、非常に面白いと思っています」。
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March 13, 2020 at 03:00PM
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